2016年11月3日木曜日

宇佐山城跡

 自宅から見る宇佐山頂上(パラボラアンテナ)
 柳川から見る宇佐山頂上
 登り口(宇佐八幡宮鳥居)
道標 
 山道
「宇佐山城跡」表示
 宇佐山城跡
 石垣跡
民放テレビ中継局
 民放テレビパラボラアンテナ
NHKテレビ中継局
NHKテレビパラボラアンテナ
中継局用軌道
琵琶湖
(手前は湖西バイパス道路、その上は坂本の町、対岸奥は伊吹山)

  近江神宮は宇佐山の麓にあり、近江神宮沿いの細い道を100m程歩くと宇佐八幡宮の入口に至る。そこから登り坂を上がると鳥居があり、宇佐山中腹まで八幡宮の参道となる。本殿の手前右には道標があり宇佐山への登り口となる。

  かなり急な坂もあり、ゆっくりと登山道を登る。30分ほどで頂上に達する。頂上にはさらに階段があり、その上は本丸跡であるが今ではテレビ電波中継所になっている。この中継所のパラボラアンテナは自宅からも見えている。

  階段の上がり口手前には台地があり、ここからは坂本地区、琵琶湖、さらには対岸の伊吹山も望める。石垣がわずかに残っているだけで城の姿は全くない。

  宇佐山城は織田信長が森可成(森蘭丸の父)に命じて作らせた城である。越前、湖北から京都への通り道として重要な場所のため築城した。朝倉義景、浅田長政の連合軍が京都へ向かうとき、南下を阻止すべく森可成は信長の弟である信治の援軍を得て共に戦うが、可成、信治とも討ち死にする。この時延暦寺僧兵は連合軍に加担しており、後の信長による延暦寺焼き討ち事件の元になる。

  摂津に攻めていた信長は、落城するまでに急いで宇佐山に駆けつけ反撃し和議に持ち込む。森可成亡きあと信長は城主に明智光秀を命ずる。そして光秀は信長に命じられ延暦寺焼き討ちを実行する。信長はその褒美に光秀に坂本城を与え、宇佐山城は廃城となり現在に至っている。

  今回、学校では習わない、宇佐山城跡に関する戦国時代の歴史を初めて知ることとなった。今日は文化の日であるが、歴史文化を知ることは大変興味深いことと思う。

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