2018年4月5日木曜日

多賀大社

多賀大社鳥居
多賀大社の概略
反橋(そりばし)
御神門
神馬舎
手水舎の桜
夫婦桜の説明
夫婦桜
能舞台
拝殿
本殿
大釜の説明
大釜
御神輿
御凰輦
つり鐘の説明
鐘楼
村山たか女の説明
本日の散歩 5.46km、5361歩

  先日琵琶湖一周ドライブした時、海津大崎・奥琵琶湖パークウエイを走った後、多賀大社を訪れた。

  かなり前に訪れているが記憶にはあまり残っていない。伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)、伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)のニ柱を祀っている。生命の神様として信仰されている。

  鳥居から入ると、すぐに石の太鼓橋がある。反橋というが、別名太閤橋ともいう。

  秀吉が母の命を長らえるよう祈願した所かなえられて、多賀大社に多額の寄進をしたことから名前が付けられている。

  御神門を通り境内に入ると左に手水舎があり桜が満開であった。

  右手には神馬舎がある。4月22日に開催される祭にはたくさんの騎馬が出る事から、馬まつりとも言われている。

  拝殿・本殿前右手には夫婦の桜があり、この桜は満開のピークは過ぎていた。近くに能舞台もある。

  本殿左横奥には大きな釜が二つある。徳川幕府が二度にわたり本殿などの大造営、修復を実施、それを記念した御湯神事の調度であったといわれている。

  さらにその後方には神輿庫があり、祭に備えて御神輿と御凰輦が展示されていた。その横には鐘楼がある。

  鐘は室町後期に社殿の修理をした際に作られたという。浅井長政の幼少期の名前も刻されており、浅井家などの寄進による工事であった。

  再度鳥居前参道にある土産物屋を見て回っていると、村山たか女という説明板を見つけた。

  幕末期、多賀大社前の家で生まれたたか女は井伊直弼と深い中になり、安政の大獄の時には京都にいる倒幕派の情報を江戸に送る役目をしていたという。

  直弼暗殺後は倒幕派により捕らえられるが、死罪を免れ出家する。舟橋聖一の「花の生涯」に出てくる人物という。初めて知る史実であった。

  この後、湖東三山(西明寺、金剛輪寺、百済寺)に向かってドライブした。

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